
![]() |
||
|---|---|---|
| 7日 | 「無限の赦し」 マタイ18章 21-35節 佐藤直哉 牧師 |
|
| 「イエスは彼に言われた、『わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい』」。
マタイ 18章 22節 |
||
| 24-27節「一万タラントの負債のある者が、王のところに連れてこられた。…僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった」。 一万タラントは16万年分以上の賃金です。そんな大きな負債を、神様はイエス様を身代わりにしてまで赦されます。 ある牧師の言葉です。「わたしたちはみんな、親なし子のろくでなしだが、それでもともかく、神様はわたしたちを愛している」。 神様が耐えられないことは、きっとただ一つだけなのだと思います。それは、罪のためにわたしたちとの関係が断ち切られていることです。だから、神様は人殺しのようなろくでなしでさえ愛し合うために赦そうと努められるのです。 レ・ミゼラブルに登場するジャン・バルジャンは、司祭の高価な銀器を盗んだことを赦され、しかも余分に与えられます。彼は無限の愛と赦しによって変えられ、生涯その愛を裏切らずに生きました。 神様の愛と赦しは、どんな罪も粉々に吹き飛ばし、全くきよめてしまいます。誰でも隣人として愛されるべきなのです。 |
||
| 14日 | 「弱いときにこそ強い」 Uコリント 12章 1-10節
佐藤直哉 牧師 |
|
| 「ところが、主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」。
IIコリント 12章 9節 |
||
| パウロは迫害で受けた恐怖と、数多くの傷跡、目の不自由、話がつまらない、外見が弱々しい…と、多くの弱さがありました。ですから、 8節「わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った」。 ところが、神様の答えは、 9節「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。 こんなに弱さをもったパウロですから、その力の源がパウロ自身にあるのではなく、100%キリストによると証しされます。また、多くの弱く、救われるべき人たちが、弱さをもったパウロの言葉を身近に、信頼して聞いたことでしょう。それでパウロは大胆に告白しました。 9−10節「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。…なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」。 神様の恵みはあなたにも完全です。ですから、あなたは弱いままで愛され、高価で尊い存在として用いられます。 |
||
| 21日 | 「重荷を負う者への安息」 マタイ 11章 28-30節
佐藤直哉 牧師 |
|
| 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」。
マタイ 11章 28節 |
||
| 28節「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」。 イエス様は、わたしたちが最低の状態のとき、十字架で身代わりになって死んで下さるほどに愛し受け入れて下さるお方です。ですから、イエス様のもとには最高の安らぎといやしがあるのです。 29節「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう」。 さらにイエス様は、回復したわたしたちを孤独のままで送り出さず、わたしたちのためにくびきを負ってまで、共に歩んで下さることを約束して下さいます。 30節「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。 イエス様と共に歩むことは決して苦痛にはなりません。それどころか、イエス様はわたしたちが負い切れない困難にあったときは、わたしたちごと背負って歩んで下さいます。事実、イエス様はわたしたちが追い切れない罪の重荷を身代わりに負って、十字架にかかられました。 |
||
| 28日 | 「神様はあなたが大好き」 ヨハネ 3章 16-21節
佐藤直哉 牧師 |
|
| 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。
ヨハネ 3章 16節 |
||
| 16節「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」。 地球は、自分自身では輝くことができません。人も同じように、神様の愛を受けて初めて輝く存在となれます。それなのに、人は自分自身を神様から隠し、また地球の美しささえ汚しています。 そんなわたしたちを、神様は取り戻そうと、御子をさえ犠牲にされ、愛に満たして輝かせて下さるのです。 16節「それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。 「一所懸命」とは、封建時代に、賜わった一か所の領地を命にかけて生活の頼みとするという意味から生まれた言葉です。「あなた」という小さな小さな一所を、神様は御子の命を懸けてまで愛して下さいます。 親は子に似たところがあれば嬉しいものです。そして親は子を自慢したいものです。神様はそのようにあなたを「わたしの子だ」と自慢したいのです。それほどまでにどうしようもなく、神様はあなたのことが大好きでしかたがないのです。 |
||











