新座教会のページへようこそお越しくださいました。
私たちは、埼玉県新座市にある日本イエス・キリスト教団新座教会です。
毎週日曜日の主日礼拝をはじめ、いろいろな催しもあります。
どなたでもお越しください。お待ちしております。

2007年11月
4日 「主の指令−愛し合う−」 ヨハネ 15章 12-17節
佐藤直哉 牧師
「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」。
ヨハネ 15章 12節
 12節「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」。
 神様は「愛し合う」という特別大切な任務を果す精鋭部隊の一員として、わたしたちを選ばれました。
 13節「人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない」。
 イエス様は「愛し合う」ことが友のために命を捨てることだと、身をもって教えて下さいました。
 15節「わたしはあなたがたを友と呼んだ」。
 イエス様はわたしたちを僕ではなく、友、パートナーとして選んで下さいました。だから、愛し合うことの苦しみを共に担って下さり、勝利を与えて下さいます。
 16節「わたしがあなたがたを選んだのである。そしてあなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実を結び」
 あなたが愛のために働くのではなく、愛があなたを遣わして、実を結びます。
 愛はじっと留まってはいません。ですから、愛のうちにいるためにも、主の指令を受けて愛と共に出て行くのです。

11日 「そのままでいいんだよ」 マルコ 10章 13−16節
佐藤直哉 牧師
「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である」。
マルコ 10章 14節
 小さい子供は不完全で、大切な仕事においては邪魔者と思われるようです。イエス様の御元に連れて来られた子供たちも、弟子たちは邪魔だと言わんばかりにたしなめられました。ところが、それを見てイエス様は憤って言われました。
 14節「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である」。
 そして彼らを抱いて祝福されました。
 どんな人でも、神様が造られた大切な、そのままで役に立つ存在です。だから、イエス様は弟子たちに対して「何もわかっていない」と怒られたのです。
 人の目を気にしていたら、人の評価がシールのようにどんどん自分にくっついて、神様に造られた本当の自分が隠れてしまいます。 一番大切なことは、神様がどう思っているかということです。
 神様はあなたを失いたくない大切な存在として、独り子イエス様を身代わりにされてまで愛しておられるのです。幼な子のように神様の御元に飛び込みましょう。
 あなたは、そのままでいいんだよ。

18日 「信仰生活の基盤」 ローマ 12 1-2節
佐藤直哉 牧師
「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それがあなたがたのなすべき霊的な礼拝である」。
ローマ 12章 1節
 1節「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」。
 献身の生涯は牧師や宣教師だけではなく、すべてのクリスチャンに「神のあわれみによって」勧められていることです。
 聖書は、神様のあわれみを受けたのならば、そのからだを、当然神様にささげないではおられないはずと言うのです。
 2節「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである」。
 ところで、世の考えに流されて、人の目を気にしてささげたり、ささげたことの見返りを求めるようではいけません。
 なすべき善を知るために、心も体も神様にささげ、御言葉の召命と確信をいただきましょう。そうすれば、心が新たに造り変えられ、世に惑わされることなく、神様に喜ばれる者とされます。

25日 「キリストに満ちた教会」 エペソ 1章 15-23節    
佐藤直哉 牧師
「この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない」。
エペソ 1章 23節
 17-18節「わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにして下さるように」。
 「啓示」は除幕されるという意味です。「認める」は計算に含めるということです。神様に幕をかけ、自分を主語に「わたしは…」と考えるなら、決して満たされません。しかし、神様の恵みを計算に加えて主語にし「神様はわたしを…」と考えるなら、なんと満たされた生涯となるでしょう。
 18-19節「あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている」。
 わたしたちは「地の塩」として召されています。焼魚には2%の塩で効き目があります。新座教会30人は、1500人に働く絶大な可能性をもつのです。
 神様はそれほどまでの恵みに、教会を、あなたを満たして下さるのです。