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| 4日 | 「神様の権威によって」 マルコ 2章 1-12節
井上義実 牧師 |
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| 「イエスは彼らの信仰を見て『子よ、あなたの罪はゆるされた』と言われた。」
マルコ 2章 5節 |
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| イエス様の真実をマルコ福音書から見てきました。宣教間もないこの時期、イエス様の元に人びとが続々と集まってくる生き生きとした光景です。 そこに四人の人にかつがれて、動けない中風の人が寝台に乗って連れてこられました。戸口まで一杯なので彼らは屋根に上り、天井をはぎ、この人を寝台ごとイエス様の前につり降ろしたのです。冷静に考えるならば群衆が大騒ぎをするような非常識な話です。 イエス様は黙って見ておられました。イエス様が見ておられたのは「彼らの信仰」5節です。信仰がなければ神に喜ばれることはできないとありますが、彼らの自己満足ではなく、ただこの人の癒しと回復を願う純粋な思いをイエス様は喜んで受け止められました。 ここでは彼らの信仰と記されています。私たちは信仰を個人的なものであると重んじてきました。病気の人自身に信仰がもちろんあったでしょうが、連れてきた人びとの信仰をイエス様はご覧になったのです。 私たちが神様を信じるようになったのも、誰かの祈り、誰かの信仰があってこそです。私たちも人のための信仰を持ちましょう。 |
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| 11日 | 「持っているものは何ですか」 ヨハネ 6章 1-15節
井上義実 牧師 |
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| 「そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望む分だけ分け与えられた。」
ヨハネ 6章 11節 |
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| 有名な5千人の給食の箇所です。イエス様の元に大勢の群集が押し寄せてきました。他の福音書では疲れきった彼らをご覧になって深くあわれまれたとあります。人間には肉体的な疲れも、精神的な疲れもあります。イエス様はパンの必要も、霊的な必要もその双方を心配してくださっています。 説教を終えられてイエス様は弟子たちにこの人たちの食物をどうしようかと尋ねられました。ピリポは一生懸命考えて、200デナリのパンでも足りませんと言いました。アンデレは群衆の間を走り回って、一人の男の子が弁当を持っているのを見つけました。ピリポは考える人で、アンデレは動く人です。どちらも足りなさ無力感を覚えています。一生懸命考えたこと、働いたことを神様は用いられます。 イエス様は考えたピリポも、動き回ったアンデレも否定されません。イエス様はそれらを越えて、一人の男の子の弁当から、5千人以上の人たちが満腹する大きな神様の業をなされました。人間がなしうることは小さなことですが、精一杯ささげたものを神様は用いてくださって、誰も考えられない業をなされました。大きな神様に期待しましょう。 |
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| 18日 | 「神様の命に従って」 ヨシュア記 11章 1-9節
井上義実 牧師 |
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| 「こうしてヨシュアはその地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げられたとおりである。そしてヨシュアはイスラエルの部族にそれぞれの分を与えて、嗣業とさせた。こうしてその地に戦争はやんだ。」
ヨシュア記 11章 23節 |
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| ヨシュア記も11章まで進みます。先の10章ではイスラエルと講和を結んだギベオンの住民のためにイスラエルの軍勢が戦った話でした。神様は敵をことごとく打ち破られました。11章ではカナンの王との戦いが続きますが完全な勝利をイスラエルは収めました。 カナンの地に入ったイスラエルの民も失敗はありました。アイでの戦いはアカンの背信やヨシュアも高慢に陥って敗北しました。先の9章ではイスラエルの民はギベオンの住民の計略に引っかかって過ちを犯しました。それらの失敗は神様を置き去りにして自分たちの考えで動いたからです。私たちは神様から離れて実を結ぶことはできないのです(ヨハネ15のブドウの木のたとえ)。10・11章では神様に信頼し、聞き従ったゆえに勝利があったのです。 カナン征服の戦いは、聖書中の多くの戦争にまさって厳しい命令を神様は下されています。神様は何度もくりかえし、カナンの住民の宗教や習慣がイスラエルに悪影響を及ぼすと言われました。ヨシュアの死後すぐにそのことは起こって行きます。 私たちは神様の知恵と力、助けと守りをいただいて、主の祝福を表すものとなりましょう。 |
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| 25日 | 「神様にある健やかさ」 ヨシュア記 14章 1-12節
井上義実 牧師 |
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| 「今もなお、モーセがわたしをつかわした日のように、健やかです。わたしの今の力は、あの時に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることができます。」
ヨシュア記 14章 11節 |
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| ヨシュア記14章です。12章には戦いとった町々や王の名前が出てきます。13章にはイスラエル12部族への領土の分割が記され、カナンの地が平定されていきます。 そのような時にヨシュアの元にカレブがやってきました。モーセによって率いられた民がカナンに近づいて12部族から斥候が遣わされた時の一人です。彼らはカナンの地が乳と蜜が流れる地であることを見ましたが、同時に彼らが強く、堅固な町に住むことを恐れました。10人は悲観的な報告をし、ヨシュアとカレブだけが信仰を持って戦うことを説きました。以来45年が経ち85才のカレブが登場します。齢を経てもなお気力も体力も充実していたカレブは特別でもあったでしょうが、神様を信じて救いに与ることは霊も、心も、体も全人的な救いなのです。今年のケズィックでプライス師はレッドパス師の最後の日々のことを語っておられ、心の内に戦いがありながらも暖かさと純粋なものを周囲に表す姿だったとのことでした。 カレブも85才にして戦いに出ます。神様にある健やかさは悟り澄ました救いではなく、戦いにあって支えられ、勝利していくものです。イエス様の内に力をいただきましょう。 |
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