新座教会のページへようこそお越しくださいました。
私たちは、埼玉県新座市にある日本イエス・キリスト教団新座教会です。
毎週日曜日の主日礼拝をはじめ、いろいろな催しもあります。
どなたでもお越しください。お待ちしております。

2007年4月
1日 「十字架の七言」 ルカ 23章 32-49節
佐藤直哉 牧師
「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。』人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。」
ルカ 23章 34節
 イエス様が十字架で語られた7つの言葉は、イエス様の真実な御姿を明らかにします。
第一の言葉「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」。
 どんな悪人であっても、イエス様は親が子をゆるすように受け入れゆるされるのです。
第二の言葉「よくよく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。
 悪人は行いによらずただ信仰により、イエス様と共に天国に行く約束を受けました。
第三の言葉「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。「ごらんなさい。これはあなたの母です」。
 教会にある、家族としての幸いな交わりの秘密は十字架の慰めにあります。
第四の言葉「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。
 イエス様が身代わりに神様から見捨てられたので、わたしたちはどんな罪からも救われるのです。
第五・第六の言葉「わたしは、かわく」「すべてが終った」
 イエス様は罪の代価を完全に支払い尽くされました。ですから十字架は全世界、全ての時代の人を救うことができるのです。
第七の言葉「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。
 イエス様が最後まで神様から離れずにおられたので、どんな力も、信じる者を神様の愛と救いから引き離すことはできません。

8日 「最も大事なこと」 Tコリント 15章 1-11節
佐藤直哉 牧師
「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちのために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと」
Tコリント 15章 3・4節
 最も大事なことはイエス様の十字架と復活で明らかにされた神様の愛です。
 「聖書に書いてあるとおり」(3、4節)。それは十字架と復活の救いが、創造の初めから定められたご計画だということです。つまり、神様は御子を犠牲にされるリスクと犠牲を承知の上でわたしたちを創造されたのです。それほど神様はわたしたちを愛されました。イエス様も、黄泉に下られてまでわたしたちを探し求め、どこまでも責任をもって下さいます。
 十字架と復活による救いは、教会を迫害したパウロに与えられ、わたしたちにも与えられています。どうしてわたしのような者に?その理由は、神様が愛しておられるから、ただそれだけです。
 十字架と復活による愛こそが最も大事なことであり、ほかには何も必要ありません。この愛がパウロを大伝道者と変えたのです。神様の愛だけで十分と信じる信仰があれば、わたしたちのうちに必ず死にも打ち勝つ新しい命が宿されて、大いなることが起こされるでしょう。

15日 「妙なる奇しき救い」 ヨブ記 40章 1-14節
佐藤直哉 牧師
「あなたは神のような腕を持っているのか、神のような声でとどろきわたることができるか。」
ヨブ記 40章 9節
 ヨブ記は「苦しみには理由があるか」というテーマを取り扱いつつ、神様とは一体どのようなお方なのかということについて考えさせる書です。
 ヨブの苦しみは「自分のような正しい者が苦しみということは、この世界には、もはや秩序は存在しない」と思ったところから生じました。
 しかし、神様は無駄と思える存在を祝福され、愚かに思える存在を喜び、自慢されます。効率を考える価値観とは対極にある神様の愛に触れて、ヨブはおごり高ぶり、自分を秩序の基準としていたことを恥じて悔い改めました。
 「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる」(ヨブ記36章15節)。
 苦しみは、自分がいかに弱く愚かであるかを教えます。そのことを通して、そんな自分を無償で救われる神様の絶大な愛との出会いをもたらすのです。
 その体験はあなたの生涯における財産、揺るがない支えとなります。

22日 「あなたを変える愛」 使徒行伝 26章 9-18節    
佐藤直哉 牧師
「さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務めに、あなたを任じるためである。」
使徒行伝 26章 16節
 パウロがキリストの使徒とされたのは、キリストとの出会いによります。
 パウロは愚かにも自分は正しいと思いこみ、クリスチャンを迫害し、神様に敵対してしまいました。しかしキリストはパウロに対してさばきではなく、愛を与えられました。その出会いにより、パウロは罪を悔い改めて変えられたのです。
 パウロはこの体験から、自分のような罪人の頭が変えられたのだから、どんな人でもキリストの愛によって変えられると確信します。実際、囚われの身でありながら、ユダヤの王アグリッパに対して堂々と語っています。
 15節「わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしていることとをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである」。
 キリストの愛と出会うならば、どんな人でも変えられて、キリストの愛を伝える使徒となることができます。わたしは統一教会員から牧師に変えられました。

29日 「キリストの内住」 ガラテヤ 2章 15−21節
佐藤直哉 牧師
「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」
ガラテヤ 2章 19・20節

 19節「わたしはキリストと共に十字架につけられた」。十字架の恵みは、罪のゆるしだけにとどまらず、わたし自身を悩ませる、どうしようもない自我性を、キリストと共に始末して下さったのです。
 5章24節「キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである」。十字架が罪の座である肉を、情と欲と共にきよめたので、罪が心に入り込まないのです。
 20節「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」。自我性や罪からきよめられた心には、御霊の働きによってキリストが生きて形造られ、キリストの御人格を現すようになります。
 5章22−23節「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、忠実、柔和、自制」御言葉と祈りによって御霊の深いお取り扱いを受け、日々十字架のきよめをいただいてキリストが形造られていくならば、このすばらしい御霊の実があなたの生活の中で現されていくのです。