新座教会のページへようこそお越しくださいました。
私たちは、埼玉県新座市にある日本イエス・キリスト教団新座教会です。
毎週日曜日の主日礼拝をはじめ、いろいろな催しもあります。
どなたでもお越しください。お待ちしております。

2007年6月
3日 「失敗してもやり直せる」 ルカ 22章 24-34節
佐藤直哉 牧師
「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
ルカ 22章 32節
 32-33節「サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」。
 人は失敗してからあわてることがほとんどです。しかしイエス様は、試練と同時に逃れる道を備えて下さいます。
 コリント人への第一の手紙10章13節「神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることがないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。
 しかも、イエス様はわたしたちの信仰がなくならないように祈って下さいます。
 マルコによる福音書11章24節「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい」。
 あなたはイエス様に祈られているのです。イエス様の祈りが、かなえられないことなどあるでしょうか。
 ですから、あなたはどんなことがあっても、必ずやり直せるばかりか、隣人を力づけることさえできるのです。

10日 「あなたを必要とされる神様」 ルカ 15章 11-32節
佐藤直哉 牧師
「まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した」。
ルカ 15章 20節
 福音記者ルカはユダヤ人ではありません。だからでしょうか、ルカは、イエス様が来られたのは「失われたものを尋ね出して救うため」(ルカ19章10節)であることをよく記しています。この放蕩息子のたとえ話もその一つです。
 20節「まだ遠く離れていたのに、父は彼を認め、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した」。
 他国人であるルカは、神様から遠く離れた存在でした。ちょうど、この放蕩息子のような存在だったかもしれません。
 そのような者のために、イエス様は「神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた」(ピリピ2章6−7節)のです。
 わたしたちがどんなに神様から遠く離れたとしても、イエス様は高価で必要な存在と認めて愛し近づいて下さいます。
 さらに十字架によってご自身の命という最上のものを与えてまでして、神の子として受け入れて下さるのです。

17日 「幻を見る特権と祝福」 ヨエル書 2章 26-32節
佐藤直哉 牧師
「その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る」。
ヨエル書 2章 28節
 「わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ」(28節)とあるように、どんな人でも 幻を見る特権と祝福をいただけます。
 そもそも、「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」(創世記2章7節)とありますように、人は神の霊を注がれて生きる者でした。ところが、罪によって神の霊と愛から離れて、死に定められた者となってしまいました。
 しかし、神様は、そのようなわたしたちのために、御子を犠牲にしてまで聖霊を注いで下さり、失われた「愛に生きる」幻を見る者に変えて下さるのです。
 「愛せない」から自分はダメと思わないで下さい。イエス様は「ダメ」を決して言われないお方です。5つのパンと2匹の魚をささげた子供を、弟子は「それが何になりましょう」と言いましたが、イエス様は祝福して用いて下さいました。
神様はあなただからこそ、新座教会だからこそ、救える魂があると、聖霊を注がれて愛する力を与え、幻を実現するため用いて下さるのです。