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私たちは、埼玉県新座市にある日本イエス・キリスト教団新座教会です。
毎週日曜日の主日礼拝をはじめ、いろいろな催しもあります。
どなたでもお越しください。お待ちしております。

2007年8月
5日 「失望からの回復」列王紀上19章 1-21節
佐藤直哉 牧師
「風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞こえた」。
列王紀上 19章 11-12節
 現在、多くの人の自己評価が大変低く、無理をしすぎて、心の病に陥る人までいます。大預言者エリヤも、うつとも思える状態に陥ったことがあります。
 4節「主よ、もはや、じゅうぶんです。今、わたしの命を取ってください」。
 長く孤独の戦いを強いられ、しかも、最後の最後で思うようにいかなかった。エリヤは緊張の糸が切れたのでしょう。
 12節「静かな細い声が聞こえた」。
 すっかり弱り果てたエリヤに、神様は強い言葉を一言も語らず、ただエリヤにだけ聞こえる優しい声で語られました。あなただけを愛し、あなたのことをだれよりもわかっているという意味を込めて。
 十字架、それこそ、苦しみ弱った者のことを誰よりも深く理解し、決して見捨てず救うと語られる、静かで細い、失望からの回復を与える愛の力です。
 アシュリーは、自分と同じプロジェリアの病の子にクリスマスプレゼントをしました。それはとても力強い、「あなたの苦しみをわかっているよ」という静かな細い、失望から回復させる声でした。

12日 「神様に選ばれた者」 Tペテロ 2章 1-10節
佐藤直哉 牧師
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である、それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである」。
Tペテロ 2章 9節
 1章2節「イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たち」。
 あなたは神様専用の器として用いられるために選ばれました。そのために、神様は御子の血を流されてまで、あなたを洗いきよめて下さいます。
 2章9節「あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである」。
 神様に選ばれた者が伝えることは、罪の暗やみにあった者を御光に招き入れて下さった、神様の驚くべき御業です。
 2章12節「異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい」。
 りっぱな行いとは、あの人のようになりたいと思わせる行い、生き方のことです。それはつまり、ありのままの自分の姿によって、神様の愛の深さ、十字架の救いときよめのすばらしさを証しし、キリストの御前へ人々を招く生き方です。

19日 「権勢・能力によらない」 ゼカリヤ書 4章 1-14節
佐藤直哉 牧師
「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる。これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」。
ゼカリヤ 4章 6節
 6節「これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」。
 神様は霊の力をもって、ペルシャ王クロスの心を感動させ、捕囚を受けていたユダヤ民族を神殿復興のために解放されました。神様は語られた約束の言葉を必ず成就して下さいます。
 イザヤ書55章11節「わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す」。
 さらに、神殿復興に対して、人材と経済力の不足という大きな困難にうちひしがれるユダヤ民族を励まされます。
 7節「大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる」。
 最も大きな障壁、山は、実は自分自身の内にある疑いの心ではないでしょうか。しかし、神様はその山を霊の力、十字架の愛によって砕いて下さいます。
 神様はわたしたちの弱さを認めて下さいます。そして、弱いからこそ、神様の霊によるしかないと、優しく信仰に導いて下さるのです。

26日 「福音を恥としない」 ローマ1章 16節
佐藤直哉 牧師
「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である」。
ローマ 1章 16節
 2-3節「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである」。
 福音、それはイエス・キリストご自身です。ですから福音は"It"ではなく"He"つまり人格をもって働く存在です。
 1節「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロ」。
 パウロは福音のために召されて使徒となりました。パウロは、語ることを恐れ、死を覚悟する苦しみに会うことがありました。そのような中で
 16節「わたしは福音を恥としない」。
 と語りました。なぜなら、福音は命そのものであり、死の恐れからさえも救う力をもっているからです。
 福音の最も大きな力は十字架です。ですから、福音はあらゆる苦しみからの大逆転を与えます。また、福音は決してわたしたちを行き詰まらせませんし、見捨てることはありません。
 わたしたちが福音を恥としないならば、福音は信じる者を恥とされません。