新座教会のページへようこそお越しくださいました。
私たちは、埼玉県新座市にある日本イエス・キリスト教団新座教会です。
毎週日曜日の主日礼拝をはじめ、いろいろな催しもあります。
どなたでもお越しください。お待ちしております。

2007年9月
2日 「クリスチャンの成熟」 マタイ 5章 1-12節
佐藤直哉 牧師
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」。
マタイ 5章 3節
 3節「こころの貧しい人たちは、さいわい」
 こころの貧しい人とは、自分はイエス様を通してでなければ、神様の御前には出られない存在と知っている人です。
 神様に裸の、恥ずかしい姿さえ知られ、十字架のゆるしに完全に満たされることは、なんと力強く幸いなことでしょう。
 5節「柔和な人たちは、さいわい」
 柔和とは「落ち着いて平安を保ち、コントロールされた強さを備え、怒る人の怒りを和らげられる影響を与えられる性質」です。決して人の力ではできません。しかしキリストが内に宿られるなら、キリストがコントロールして下さいます。
 7節「あわれみ深い人たちは、さいわい」
 自分の罪に悲しみ、ただイエス様でなければ解決できないことを知る者は、他人の問題をさばいたり、他人事とあしらうことなく、同情心をもって接し、イエス様の救いといやしを伝えることができます。
 9節「平和をつくり出す人たちは、さいわい」
 お互いがイエス様にある柔和さとあわれみで結ばれるとき、最高の祝福である平和(シャローム)が生み出されます。

9日 「破れを繕う者」 イザヤ58章 6-12節
佐藤直哉 牧師
「あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々破れた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる」。
イザヤ書 58章 12節
 12節「人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる」。
 神様と人との間に、どれだけ大きな、目を背けたくなるような破れがあるかと思います。しかし、イエス様はその破れの中に命をかけて飛び込まれて、破れを繕って下さいました。
 11節「主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる」。
 自分自身の破れに悲しみ、十字架の救いを十分に受けて破れを繕われた者こそが、神様の愛に満たされ、愛をもって破れを繕う者となります。
 エゼキエル書23章30節「わたしは、国のために石がきを築き、わたしの前にあって、破れ口に立ち、わたしにこれを滅ぼさせないようにする者を、彼らのうちに尋ねたが得られなかった」。
 今、神様はあなたを必要とされ、破れを繕う者として招いておられます。あなたはどのように応じますか。

16日 「わたしの隣人とは誰か」 ルカ10章 25-37節
佐藤直哉 牧師
「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』とあります」
ルカ 10章 27節
 25節「何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
 最も生命が輝く生き方は何かという意味ともいえる質問です。その答えが
 27節「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
 「愛せよ」とは命令・義務のように感じますが、原語を見ると未来形にとる方が原意に近いようです。ですから、この御言葉は神様がわたしたちの生命を輝かせるために、わたしたちを愛する者となるようにして下さるという約束なのです。
 37節「あなたも行って同じようにしなさい」。
 律法学者は「自分の立場を弁護しようと思って」「わたしの隣り人とはだれのことですか」と尋ねました。しかし、イエス様は神と等しいご自分の立場を捨て、十字架で生命を捨ててまで、積極的にわたしたちの隣り人となって愛して下さいました。
 神様が「愛する者となる」と約束して下さっているのですから、隣り人を愛するために出て行き、自分をささげましょう。

23日 「生きる力、愛する力」 Tヨハネ 3章 13-24節
佐藤直哉 牧師
「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである」。
Iヨハネ 3章 16節
 16節「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った」。
 13世紀にローマ皇帝が50人ほどの赤ちゃんを集め、美しい立派な部屋と最高の食事を用意して育児実験をしました。ただし養育係たちには、決して語りかけるな、ほほえむな、抱いたり歌ったりするなと厳しく命令しました。1年後、赤ちゃんは全員死んでしまいました。
 人は愛がなければ、生きる力を失ってしまうのです。ですから、イエス様は人となられ、十字架でいのちを捨てられてまでわたしたちを愛して下さり、人を愛し、人を生かす者へと変えて下さいました。
 16節「それゆえに、わたしたちもまた、兄弟たちのためにいのちを捨てるべきである」。
 愛は高いところから低いところへ流れるのではありません。謙り、貧しく、弱くなってこそ、共感でき、愛が深まります。
イエス様はわたしたちへの愛を深めるためにあえて謙られ、共に傷ついてまで受け入れて下さいました。このイエス様の愛に満たされて、隣人を愛しましょう。

30日 「善い隣人となって共に生きよう」 ルカ 10章 25-37節
神田英輔 師
「『この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか』。彼が言った、『その人に慈悲深い行いをした人です』。そこでイエスは言われた、『あなたも行って同じようにしなさい』」。
ルカ 10章 36-37節
 ボリビアでの飢餓状態と教会の働きを目の当たりにして、わたしは地域社会に何をしてきたかと問われた。
 27節「『主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
 この聖書の言葉を知っていながら、従って生きていないことが示された。
 マタイ25章45節「これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである」。
 飢餓で苦しむ人を目の前にしながら、イエス様を見ることができない。隣人となることができない。自分はサタンの福音を信じて、目が、心が、手が、のろわれてしまっている…。イエス様はそんなわたしを変えて、善き隣人として下さる。
 毎朝の祈り「わたしの目をあなたが使い、あなたの見たいものを見て下さい。わたしが使うと、ろくなものを見ませんから。わたしの足を使い、あなたの行きたいところへ行って下さい。わたしの手を使い、あなたのみこころを行って下さい。わたしはろくなところへ行かず、ろくなことをしないからです…」