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| 6日 | 「キリストの心を心とせよ」 ピリピ 2章 1-8節
佐藤直哉 牧師 |
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| 「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい」。 エペソ 2章 5節 |
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| 5節「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい」。 わたしたちは神様の心も、他人の心も理解する力がありません。ですから、キリストは神様とわたしたちの心を御自分のうちでひとつとするため、人となられ、十字架にかかられたのです。 6-8節「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」。 幼子が不治の病に冒されたなら、親の方が心を痛めるでしょう。子は自分の悲劇を理解できないからです。 同じように、わたしたちは人の滅びを無邪気なほどに理解できません。しかし、キリストの血があなたに熱く流されるなら、キリストの心が心とされます。 そして、自分自身のために投資するのでなく、キリストのように他者のために自分を献げ仕える隣人となれます。 |
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| 13日 | 「ビジョンの実現」 ピリピ 2章 12−18節
佐藤直哉 牧師 |
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| 「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」。
ピリピ 2章 13節 |
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| 13節「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」。 ビジョンを実現に至らせるのは神様です。神様はまた、あなたを通して神様に触れていただかなくてはどうしようもない一人一人をご存知で、あなたに働きかけてそのような人のところに導かれます。 14-15節「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい、それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲がった邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている」。 イスラエル民族がヨルダン川を渡ったとき、それは最悪の時期に見えました。ところが神様の約束に堅く立って一歩踏み出した瞬間、すべてが最高の結果に変えられました。 わたしの友人は、自分のところに勧誘に来たカルト信者の救いを5年祈り続けました。そのカルト信者はなんと、救われただけではなく神学生となっていました。 |
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| 20日 | 「主を知る絶大な価値」 ピリピ 3章 2-16節
佐藤直哉 牧師 |
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| 「わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている」。
ピリピ 3章 8節 |
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| 7-8節「しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識のゆえに、いっさいのものを損と思っている」。 パウロは様々な身分、特権をもっていました。しかし、キリストを知る価値は、それらいっさいのものを損と思うほどに絶大なものだと言います。 10-11節「キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである」。 パウロは、キリストの十字架と復活の愛の深みに達するために、その苦難に幾分かでもあずかりたいとまで願うのです。 12節「わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕らえようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕らえられているからである」。 キリストはすでに十字架によってわたしたちを捕らえて下さっています。ですから、わたしたちは必ず、キリストの愛の深みに達することができるのです。 |
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| 27日 | 「神様から目を離さない」 ヘブル 12章 1-6節 佐藤直哉 牧師 |
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| 「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」。
ヘブル 12章 2節 |
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| わたしたちはテレビやゲームにかじりつく以上に、ワクワクして、神様から目を離さずに過ごしているでしょうか。 1節「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこう」。 信仰の先駆者たちというすばらしい応援団が、わたしたちが神様から目を離さないで歩めるよう支え励ましてくれます。 2節「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至った」。 イエス様は祈りが聞かれないかのような苦難の中にあっても、あなたから決して目を離さず、十字架に向かいました。そのお方が完成者ですから、すべてをお任せすればいいのです。 3節「あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべき」。 |
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